科学とは何か!


 霊的現象が非科学的かそうでないかを考えるとき、科学的とはどういうことかをまず明らかにするべきであろう。科学といえば、昔からその中心は物理学であると思われていた。さらにその周辺に、化学、生物学、医学、考古学、歴史学などのさまざまな分野があるが、一体科学の本質とは何なのか。有体にいえば、それは自然についての合理的で客観的な思考そのものであろう。 

物理学も近代までは非科学であった

 つまり科学の本質は、細分化された分野自体そのものではなく、その考え方にある。物理学が科学の中心のように思われていたのは、近世までは自然哲学と呼ばれていたように、自然全体を対象にしていること、そして自然をつらぬく法則を発見し、それをもって自然のすべてを説明しようとする、自然現象の根源にせまる思考と見られていたからでである。

    しかし、科学の本質から考えると、物理学も近代までは非科学だった。地動説という合理的な思考の産物が否定され、アリストテレスとキリスト教神学による地球中心説という非科学的ドグマが信奉されていたからである。 

   物理学だけでなく化学や地質学、生物学、医学など他の分野でも、非合理的な前提は少なからずあったし、現在でもないとは言えない。科学の進歩とはより広く、より深い発見にあるといえるが、全く非科学的な事象の排除もまた科学の進歩に不可欠なことである。

超常現象の再現性?

    さて、本題の心霊現象を語るとき、誰もが認められない、とくに科学者が絶対に認めない要素があった。それは超常現象と呼ばれるように、時空間を支配する物理学の法則に完全に反していること、その結果、現象に再現性がないことである。このために心霊現象は社会的に否定され、TV番組などではお笑いの前座のような扱いである。つまり、あるはずがない現象としてみなされ、とくに組織に守られて禄をもらっている科学者ほど関心をもつことすら保身のためタブー視している。しかし、超常現象は再現性がないからといって、絶対に存在しないと言い切れるだろうか。 

 コナン・ドイルが心霊現象を研究していた時代、何人もの霊媒が物体を浮揚させ、ラップ音を響かせ、空間に光球を点滅させ、感じない風でカーテンを揺るがせ、自ら空中浮揚していた。しかも、クルックスやロッジ、キュリー夫人など当代随一の科学者たちが、霊媒を完全な監視と管理のもとにおいて、こうした超常現象を観察して記録していた。 

組織に守られていない科学者の科学する勇気!

 ドイルが強調する心霊現象について、自らが実地に臨んで調査した者は、ひとり残らずそれが真実であるという確信を持つようになった。

 一方で、心霊現象を否定し攻撃する者は、ひとり残らずかたくなに実地調査すらしようとしない人達である。 こういうと感情的な印象を与えるかも知れないが、この事象の研究者たちは総じて、心霊現象は事実であるという認識である。

 だが、調査しない科学者が悪いと言うのではないが、残念ながら現在に至るまでその構図は変わっていない。

 そしてこの事実は決して無視できない重みを持っている。少なくともドイルが自らの根拠とする科学者たちは、心霊現象について何度も真剣に実験し、研究した人びとである。しかも実験結果を正直に発表したために、公私にわたって大きな犠牲を払い、むしろ報告を撤回しない人びとでもある。

 それとは反対に、心霊現象を認めない体制側の科学者は、自ら実験をしたことがないだけでなく、それを実施した科学者の報告もほとんどの場合、査読どころか資料にさえ眼を通していない。こうした事実を熟知したコナン・ドイルの主張は、素朴のように見えて、無視できない説得力を持っていると思われる。

第四の力学的法則の探求

 ドイルの時代は前述の通り、何人もの霊媒が物体を浮揚させ、ラップ音を響かせ、空間に光球を点滅させ、感じない風でカーテンを揺るがせ、自ら空中浮揚していた。しかもクルックスやロッジ、キュリー夫人、リシェなどの名だたる科学者たちが、霊媒を管理と監視のもとにおいて、こうした超常現象を観察し記録していた。

 このような事実を知れば、超常現象は存在するだろうと考えるほうが、物理の法則に反するからあり得ないと決め付けるより、少なくとも合理的で客観性があるだろう。

 そもそも、ダーウィンと並ぶ進化論の創始者ウォレスは、再現性などは科学の必須の要素であるとは考えていなかった。実験のできない科学の分野はいくらでもあるからである。科学者たちは霊媒たちが起こす超常現象がペテンと考えられなくなると、それらを励起する第四の力を探そうとした。

 つまり物体を介さず空間から伝わる力には、ニュートンが発見した万有引力に加えて電気力、磁気力の三つしか知られていなかったので、この超常現象を起こす第四の力をつきとめようとした。この態度こそが、真の科学する科学者の姿勢ではないだろうか。