霊は実在する!しかし


霊は実在する!しかし
霊は実在する!しかし

 霊的事実を明確に体系づけた時代は、ほぼ百五十年前に米国でスピリチュアリズムと呼ばれる思想が勃興したときである。この思想は英国に渡って急速に発達し今に至っている。現在では、ほとんどの宗教に取って代わるエネルギーをもって静かに力強く発展しつつある。しかし、心霊という言葉ほど曖昧で怪しい響きをもった言い回しはない。つまり、霊的事実の認識が極めて脆弱なのである。

 スピリチュアリズムというのは一に言えば、霊的事象の背後にある原理・法則の探究であると言える。それは、道徳・哲学・科学・宗教と人々の人生全般に当てはめられ、いままでの誤った理解を正していくことを目的としている。そのように見ていくと英米で生まれたものであっても、日本の霊的事象または精神世界全体を俯瞰すれば、なぜかジグソーパズルの最後のピースの一枚のような気がする。

神のおぼしめしのままに

 ある研究者は語る。私がこれまでこの世界を研さんしたかぎりで言えば、日本民族が古代から営々と引き継いできた「かんながら⇒神のおぼしめしのままにの思想が、世界の思想・信仰の中で一番スピリチュアリズムと融合できる要素を具えている。その事実が今後、より一層鮮明になりつつある、と。話している。

 

 ところで皆さんは、ご先祖の墓参りをされていると思う。先祖の供養は日本人にあってごく当たり前の光景である。しかし、残念ながら大方の日本人は「人間死んだらおしまいですよ!私はその霊を供養、慰めに来ているだけですよ」と、このように考えているのではないだろうか。

 

 間違いではないと思う。これが我々がふつうに抱く情であり、世界いずこの民族も大なり小なりこうした心情を持っているものだろう。 

 私たちはよく、鬼籍に入った人たちに対して「安らかに眠ってください」と手を合わせる。だが、この言葉を一体誰に向かって言っているのだろうかという疑念が湧く。

 

 「千の風になって」という唄がかつてヒットした。その歌詞には次のように書かれている。⇒のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません。

 

 ではどこにいるのか---深く分からないまでも、思わず神仏に手を合わせたくなる日本人のそうした傾向は、神道なのか仏教なのか、どこから来たものかは分からないが、私たちの心情のなかに深く根付いているように思えてならない。