第六章 地獄とその住人
地獄のイメージ
地獄のイメージ

 地獄には閻魔(えんま)大王も鬼も悪魔(サタン)もいない。スウェーデンボルグは、地上に人間として生まれなかったどんな神話的存在も、霊界の存在者として認めない。 霊となった人間の「自己愛」と「世俗愛」という霊的に偏向した生命こそが、地獄を生み出すのである。

地獄にも秩序がある

   地獄の霊たちは、「恐ろしい形相をし、生気を欠き、死人のような面持ちである」。彼らの内面には、憎悪、傲慢、復讐心、殺意、淫欲、不摂生、支配欲、欺瞞、虚偽、虚栄など、あらゆる悪が渦巻いている。

 地獄の霊たちは誰に強制されたのでもなく、自ら好んでここに落ち着き、こちら側をもっとも心地の良い世界だと思っている。霊界では、「優勢となった愛」がいつも彼らを内部から衝き動かしているからである。

 

 とはいえ、霊的人間であるかぎり彼らも自分ひとりで生きられるわけではない。この世でもそうだが、彼らは彼らなりの秩序がある社会に生きている。しかし、地獄の社会は、エゴイズムとエゴイムズが連携してはたらく奇妙な世界であるため、支配と被支配の連続であり、悪人同士が悪で罰し合うという構図が出来上がる。

 

 こうしたせめぎ合いに疲れ果てて、彼らはときには地獄にいる自分を嫌悪するかも知れない。しかし、自己愛世俗愛が変わらないかぎり、たとえ天界の社会に行っても、やがて波動の原理により、交わることなく反発して自らの居心地のよい世界(地獄)に戻ってくる。

 

 スウェーデンボルグは、地獄の霊の性質やその光景について次のように描写している。

  

地獄の火のイメージ
地獄の火のイメージ

  「地獄の火」とは、自己愛や世俗愛に源を発する欲望と快感のことである。これらの愛から流れ出る悪とはすなわち、他人への蔑視や、自分に味方しない者への憎悪や敵対心である。また、嫉妬や憎しみ、復讐心であり、ここから生まれる残忍と冷酷である。さらに、神に対する否認、侮辱、嘲笑、神の摂理なるものへの冒涜である。

 

 死後、人間が霊となると、こうした悪は聖なるものへの怒りと憎しみに変化する。そうした悪は常に、自分が敵と見なす者や、憎しみと復讐心の対象とする者を破滅させ抹殺しようという意図を含んでいるので、破壊と殺害こそが悪の生命にとっての歓喜となるのである。それが不可能なときは、危害を加えたり、中傷したり、残酷に痛めつけたりする。こうしたことこそ、悪や地獄に関して聖書が譬えている「火」意味するところであろう。