第六章 地獄とその住人2

  「地獄の歯ぎしり」は虚偽を言い張る者たち同士の絶え間ない口論と争いのことである。そこには他人への軽蔑、反目、嘲笑、愚弄、罵詈雑言が飛び交いそれらがさまざまな種類の中傷へと発展する。なぜなら、誰もが自分の虚偽を守って戦い、虚偽を真理だと言い張るからである。こうした口論と争いが地獄の外側では歯ぎしりのように聞こえるのである。

地獄の中を覗く
地獄の中を覗く
地獄の中を覗く

 スウェーデンボルグは、その地獄の内部がどんなふうであるかを見ることを許された。ある地獄の風景は岩山の洞穴か空洞のように見えた。それはずっと奥まで続いており、奥のほうで斜めか垂直に深淵へと下降している。別な地獄は森の獣たちの住む洞穴のように見える。さらに、ある地獄は鉱山の坑内にある中空になった所や通路のように見え、そこにはまだまだ下へ通じる穴もある。

 大火の後の家並みや街の廃墟のように見える地獄もあり、そこには地獄の霊たちが身を隠して住んでいる。もっと緩やかな地獄には粗末な小屋も見えるが、街路や路地で区分けされた街に建つ小屋もある。小屋の中では、地獄の霊たちが絶えず口論したり憎しみ合い、つかみ掛かったり殴り合ったりしている。街路や路地裏では強盗や略奪が頻繁にある。

 

   またある地獄は、むかつくような売春窟(くつ)そのもので、ありとあらゆる汚物や排泄物であふれ返っている。薄暗い不気味な森もあり、そこを地獄の霊たちは野獣のように徘徊している。そこにはまた、他の霊たちに追われた霊たちが逃げ込む、地下の巣窟がある。

生命の「状態」としての天界と地獄

   スウェーデンボルグは天界と地獄を、場所ではなく生命の「状態」だとも言う。この世で生きている私たちの生命の「状態」は、常に天界と地獄から来る力の絶妙なバランスの上に成り立ち、そこから善悪のいずれをも選べる自由意志が生み出されるという。

 

 使者としての霊たちを通して、地獄からの絶え間なき流入があり、一方、天使たちを介して、天界からの流入もある。天使たちは地獄からの流入を絶えず抑制して、これを脇へそらそうと努めている。

 

  とはいえ、天使たちが流入するのは、人間に刻印されている信仰の真理や仁愛の善の中へである」それゆえ、もし人間がそうしたものを持っていなければ、その人間の思いは地獄によって、流れにさらわれるようにさらわれてしまう。その際に「神」外なる拘束と呼ばれる人間の外なるものの中へ、天使たちを通して働きかける。外なる拘束とは、富・名誉・家柄・名声など見栄の喪失を恐れて(たとえ外面だけであるにせよ)人間が善(よ)く生き、隣人に悪を働かなくなるような拘束のことである。

   このように人間は物の世界の習い性として、こちら側に来ても外面的な拘りにまだまだ無意識的に支配されているのである。