第八章 人間は愛の受容体
天界のイメージ
天界のイメージ

 スウェーデンボルグによれば、神のみが生命であって、人間はそれ自身ではどんな生命も持っていない。人間は生命を受け容れる限りある器、生命の受容体だというのが、彼の根源的な人間理解である。この受容体は「意志」「理解力」という二つの受容組織を持つ。

 生命自体である神的な愛が神的な知恵を通して人間の霊魂へ流入するとき、人間がそれを意志の中へ受容すれば、それは「善」と呼ばれ、理解力の中へ受容すれば、それは「真理」と呼ばれる。

 

意志が生み出す善悪

 一方、スウェーデンボルグは、、人間に深く根を下ろす悪への圧倒的な傾斜を経験的、観察的な事実として認める。だからといって、聖書でいう、始祖アダムの犯した罪が原罪として人間に適用されるとは考えていない。

 

  また、人間に先立って創られた天使も悪魔もいないのだから、悪や罪が人間以外の他の存在者に起因することはありえないと言う。悪や罪は、人間の自由意志によってなされる神的秩序の無知とその転倒から来る。つまり、本来は尊いものとして賦与された自由意志の濫用にほかならない。

 

 彼によれば、悪や罪を知るために私たちは、どんな神学的・形而上学的な考え方も必要とはしない。私たちは自らの内部に巣くう具体的な悪を反省して認め、これを取り除く現実的な努力をしなければならない。  

天界は愛に満ち溢れている
天界は愛に満ち溢れている

 スウェーデンボルグは、人間の心の最も深い層を、ひとことで「愛」と呼ぶことがある。人間の受ける生命とは、各個人がその受容能力に比例して受け容れる愛そのものなのである。無限の愛の実体が神であるように、人間の霊魂は限りある愛の主体である。

 

 個人の持つ愛は、その人間全体をコントロールし規定する根源である。愛が人間の最も深い所にあり、人間の知性的能力は愛から発したものであり、また、愛が形をとったものである。

 

  この意味でスウェーデンボルグは、「愛が対立すれば、認識のすべてが対立する」という表現を好んで用いる。人間の愛には善き愛も悪しき愛もあるが、愛はその人間自身なのである。「意志」や「愛」の本質は自由であり、「理解力」の本質は合理性である。  

地獄とは神的秩序を破った状態

  スウェーデンボルグの信仰と救いについての教説を簡潔に述べれば、以下のようになろう。

 唯一の神が存在し、神は無限の愛から、人間を含む宇宙の森羅万象を創り出し維持している。その同じ神は救済者として、人類が神的秩序を破った時でさえ、人類の自由意志を破壊しない程度に、その悪を善の方へ回避し矯正するように導く。

 

  悪はひとたび具体的に実行されると、習性となり、段々と心の深層部に根を張って行く。

 

   人間は原罪によってではなく、現実に罪を犯し悪を行うことによって断罪される。それは自分が招いたものであるから自分がその責めを負うべきで、神が罰するのでも、神の子が人間の罪を負うのでもない。悪はそれ自体、地獄を創るが、悪が連合すると、さまざまな地獄の社会もできる。 

 

  地獄とは神的秩序を破った状態であり、それ自身が罪を生み出す。自らの内部に善を受容して天界を生み出し、この状態を生きることが救いなのである。