霊界の風景は常に流動的である。霊界には霊たちの生命の状態があり、霊たちの生命の状態の変化があったときに霊界の風景も一瞬にして変わる。
この霊界の風景を見ると、後に神の摂理に反発した霊たちが山体崩壊とともに、底知れぬ奈落の暗闇に落ちていくさまがリアルな文章で表現されている。そのようすは、阿鼻叫喚の地獄絵図である。
しかし、霊界では死はない。このような霊たちは自らの霊性に相応しい世界に落ち着くのである。ここが大事であるが、神が審判を下すわけでは決してない。自らの心のありようが居心地の良い空間を創り出しているのだ。
スウェーデンボルグは、一歩まちがえば精神錯乱に陥るような極限の状況に置かれながらも、科学者としての冷静な洞察で生命のある身で霊界探訪をした人である。その意味では、人類史上稀有な存在であろう。
しかしながら、スウェーデンボルグは人生の前半においては国の役人として鉱山業に関わっていた。そして、生来の探究心と好奇心で鉱物界のヨーロッパ学会に在籍中確固たる地位を築いた。ただ、これは彼にとっての通過点に過ぎなかった。
自然界は宇宙と鉱物界で成り立つのではない。動植物の世界がある。ましてや人間もいる。その肉体は単なる生理的な機能で生きているのか。死んだら土に還るのか。それでは、この世の必然性・存在理由が説明できない。心とは何か。それらにはどのような相互作用があるのか。
スウェーデンボルグは、人間という有機的な生命の無限性に目を転じた。そこから、人間の不死性---つまり死後の人間である霊の研究が幕を開けたのである。