第三章 人間と霊の階層2
自然界の人間と霊界の霊
自然界の人間と霊界の霊

 死んだのち人間は三日ほどして「霊たちの世界」に入る。この場所は天界と地獄の中間領域に属し、上層または内部から来る「善」と、下層または外部から来る「悪」との霊的均衡によって成立する世界である。

霊たちの世界で起こる一致の法則

  生前、聖人君子でもなく極めて悪くもなかった人間はみな、「霊たちの世界」に入る。ここは天界か地獄へ往く(ゆく)通過点であるが、ここに留まらずに天界か地獄に直行する霊もいる。

 眠りからさめるように意識を回復した霊は、案内役の霊たちの手ほどきを受けて新しい世界への第一歩を踏み出す。経験のない霊ははじめ、無垢・平安・敬虔といった赤子のようなピュアな意識に浸る。やがて生きていた環境と酷似した風景が自らのまわりに出現する。誰にも強制されることなく霊は自由に活動し、自分の性格に合う他の霊や霊の共同体と交流する。

 

    しかし、「霊たちの世界」はそれなりの秩序とバランスによって成り立つ社会であるから、個人として規律を超えた振る舞いはできない。

 先に言ったように、霊界では心の内部がダイレクトに外部に流れ出て、霊の周囲に独自の内的世界を生み出してしまう。つまり、霊界では心の意図や思いを隠せないことを意味する。この世では心で悪意を抱いても行動や言動で取り繕うことができるが、霊界では思考と言動、または意図と行動は必ず一致してしまう。

 

  「霊たちの世界」とは、このような一致の法則が徐々に自覚されるようになる世界である。このプロセスでは霊たちは少しずつ自分の本性を顕わにしてゆく。

 

 スウェーデンボルグは、人間の本当の性格を決めるのは、それぞれの「優勢となった愛」だと考える。愛とは、情愛・感情・情動・意欲・意志などの総称であり,知性的な機能よりも根源的なものという。

内面が明らかになる剥脱

 彼によれば、愛は四つに大別される。「神への愛」「隣人愛」「世俗愛」「自己愛」がそれである神を信じることで戒めが生まれ、隣人愛を実践することが神への愛に直結する。さらに、広く社会や国家、また人類に向けられた愛が真の隣人愛と言える。富・名誉・地位などへのこだわりが世俗愛であり、エゴイズムは自己愛である。

 この世では、野心に燃える政治家が国のためと言って私腹を肥やしたり、内心は嫉妬に満ちているのに世間体を気にして友情を装ったりする。霊界ではこうした隠し事が段々とできなくなり、心の表にある化けの皮が剝がれて心の深層が顕わになる。逆に心根はいいのであるが、たまたま悪い環境に染まったことでその身を悔いる。こういった場合では、霊界においては善良な深層が表面に出る。 

 

スウェーデンボルグは言う。悪人から表面的な善が、善人から表面的な悪が剥がされて内部が明らかになる過程が「剥脱」である。それは、人間が生前に形成した本当の性格が顕わになる過程であり、霊となった人間は自由意志によって自らのいちばん居心地の良い場所を求めるのである。

人間が生前に形成した本当の性格が顕わになる過程
人間が生前に形成した本当の性格が顕わになる過程
悪人から表面的な善が剥がされて本来の内面が出る
悪人から表面的な善が剥がされて本来の内面が出る

自らの思いが記録され自ら思い描いた世界へゆく
自らの思いが記録され自ら思い描いた世界へゆく

 この過程に関係する唯一の者は自分自身であり、地獄に落とす審判者も、何らかの「信仰」や呪文などで悪を打ち消し天界へ引き上げる絶対者もいない。