時代の先端を走った天才!スウェーデンボルグ
アメリカの文学者エマソン
アメリカの文学者エマソン

 エマヌエル・スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg  一六八八~一七七二)はヨーロッパの啓蒙時代に広く知られた科学者であり、鉱山技師、政治家である。しかし、後世の人びとがスウェーデンボルグの名で連想するのは、何といっても「神秘家」であり「霊界探求者」である。そのため、魅力と反発とが入り混じった受けとり方をされることが多い。

 ドイツの哲学者カントは、スウェーデンボルグを「視霊者」と呼び、アメリカの文学者エマソンは「神秘に生きる人」と、たとえた。   

 エマソンは『代表的偉人論』で古代の人物から同時代者まで六人の偉人ないし天才を選び出した。彼自身が取り上げた順序どおりに列記する。

 

①プラトン⇒「哲学に生きる人」(ギリシア)

②スウェーデンボルグ「神秘に生きる人」(スウェーデン)

③モンテーニュ「懐疑に生きる人」(フランス)

④シェイクスピア「詩歌に生きる人」(イギリス)

⑤ナポレオン「世俗に生きる人」(フランス)

⑥ゲーテ「文学に生きる人」(ドイツ)

 以上の人たちである。この中でエマソンがスウェーデンボルグに割り当てたキーワードは、「神秘」であった。

 エマソンは彼なりのやり方で、各分野で人類を代表するような人物を選び、文学的に評判の高い講演を行なって、この本にまとめている。

 彼はスウェーデンボルグについて、こう述べている。

 スウェーデンボルグの魂は巨大であり、時代のうえに大きくおおいかぶさりながら、しかも時代におおいつくされることはなく、その全貌をとらえるために、長い焦点距離が必要である。---いわば彼は、学問の世界に生きるミスリウムやマストドン(いずれも古生物の巨獣)のひとりであり、凡百の学者たちを、大学ぐるみでいくら束にしてみても、とうてい測りきれるものではない。彼がそのがっしりした姿を現せば、総合大学に巣くうお上品な学者連中はことごとくあわてふためくことであろう。

 現代の書物は、断片的であるために真理からはずれており、その文章は警句にすぎず、自然にそくした議論の一部ではなくて、自然のなかに見いだした驚きやよろこびを、ただ子供のように表現したものにすぎない。---だがスウェーデンボルグには体系があり、どのような文章を書くときにも、世界にたいしてつねに注意をおこたらず、議論をすすめる手段にも、すべて整然とした秩序がある。

 彼のさまざまな能力は、まるで天体のように正確にはたらき、彼のみごとな著作には、生意気さやひとりよがりなところはみじんもない。

(酒本雅之訳『エマソン選集第六 代表的人間像』日本教文社、一九六一年)

IQ200を超えた万能型の天才

 かつてアメリカのスタンフォード大学で興味深い実験が試みられた。それは、歴史上の偉大な知性をもった人びとの知能指数を、広く知られているターマンの方式を用いて巨大なコンピュータで計測するという野心的な挑戦であった。

 よく知られているように、知能指数(IQ)は、「普通」=90~109(全体の46.5%)、「優秀」=120~129(全体の18.1%)、「天才または準天才」=140以上(全体の1.3%)となっている。

 スタンフォード大学でのこの実験の結果、コンピュータが正確な指数を割り当てられず、ただ「IQ200以上」とだけ表示した歴史上の最高の知性をもつ個人が三人だけ残った。この三巨人は、ミルゲーテスウェーデンボルグだけだった。

 スウェーデンボルグはまさに稀代の万能型の天才であったのだ。

 エマソンの友人でアメリカの著名なジャーナリスト、ジョージ・リプリー(George Ripley  一八〇二~八〇)はスウェーデンボルグの職業をこう分析している。

 発明家・植物学者・化学者・鉱石分析家・機械技師・家具製作人・製本者・レンズ研磨人・音楽家・オルガン奏者・国会議員・心霊研究家・時計製造人・言語学者・水路測量士・編集者・詩人・鉱山技師・出版者と要約しているが、このほかにも彼の活動範囲や業績をいちいちあげたらきりがないくらい多才である。

スウェーデンボルグが発明した鉱石を引き上げる機械
スウェーデンボルグが発明した鉱石を引き上げる機械
スウェーデンボルグ考案飛行機の草稿
スウェーデンボルグ考案飛行機の草稿

スウェーデンボルグ飛行機スケッチオリジナル
スウェーデンボルグ飛行機スケッチオリジナル
オリジナルに基づいてグスタフ・ゲンツリンガーが作成したもの
オリジナルに基づいてグスタフ・ゲンツリンガー作成したもの
スミソニアン博物館所蔵のゲンツリンガーの試作機
スミソニアン博物館所蔵のゲンツリンガーの試作機


預言者は故郷では敬われない!
ストックホルムのホルンスガータンにあったスウェーデンボルグの家
ストックホルムのホルンスガータンにあったスウェーデンボルグの家
ファールンの銅鉱山の眺望
ファールンの銅鉱山の眺望

 スウェーデンボルグは、生涯に幾度となく長旅に出た。彼の強靭な肉体はこの旅に耐え抜いた。当時の人びとと比較しても群を抜く彼の体力は、若いころ鉱山技師として各地の峻険な山歩きで、自然に鍛えあげられたものなのかも知れない。

 晩年は、パンと牛乳だけの質素な食事に徹し、コーヒーを好んで飲み、昼夜をおかず執筆を続けた。八〇歳になった頃、カトリック教会とプロテスタント諸派とも袂を分かつ、彼の説く霊的で革新的なキリスト教に対して、教会会議による異端裁判が始まった。

 彼の賛同者であった二人の教授の生活まで、ままならぬ状態となって迫害が熱を帯びたとき、彼は当時の国王フレドリックに長文の手紙を書き、裁判の不当性を直訴した。ほどなく国王の支持を得て二人の教授たちは条件付きで復職したが、裁判そのものは決着を見るには至らなかった。

 「預言者は故郷では敬われない」と観念したのであろう、スウェーデンボルグは八三歳のとき自ら故国を去って、青年時代から愛していたロンドンに旅立った。

自らの死期を預言
ジョン・ウェスレー
ジョン・ウェスレー

  その途中、アムステルダムで、最後の著作『真のキリスト教』を出版した。

ロンドンでは鬘(かつら)職人のシアスミス家に宿をとり、ここでも幾つかの小論の執筆を続けた。この地で霊界からメッセージで知らされたとして、彼はジョン・ウェスレー(メソジスト教会の創始者)に手紙を書き、「貴殿は小生に会いたがっているようですが、いつでもお会いしましょう」と伝えた。

 

 実際にそうした願望を持っていたウェスレーは、これから伝道旅行に出かけるので、それが済んでからぜひ伺いたい、と返事をして、そのまま旅立った。その直後にウェスレーに届いた手紙には、「そのときでは遅すぎるでしょう。小生は三月二九日にこの世を去ることになっていますから」とあった。

 一七七二年三月二九日の夕刻、スウェーデンボルグは、付き添っていたシアスミス家の家政婦に、「今、何時かね」と尋ねた。「五時です」と答えるとよしよし。ありがとう。神の祝福を祈る」と言い残して、静かに息をひきとった。

 

スウェーデンボルグ最後の言葉
スウェーデンボルグ最後の言葉
幽体離脱してゆくスウェーデンボルグ
幽体離脱してゆくスウェーデンボルグ
霊界に導かれてゆくスウェーデンボルグ
霊界に導かれてゆくスウェーデンボルグ

20世紀初頭、スウェ-デンボルグの遺骸は故国に戻されるためにロンドンの教会から運び出された。
20世紀初頭、スウェ-デンボルグの遺骸は故国に戻されるためにロンドンの教会から運び出された。

 ロンドンで客死したスウェーデンボルグは、そこにあったスウェーデン教会に埋葬された。享年八四、生涯独身であった。

世界記憶遺産に選定

 一三六年経た一九〇八年、スウェーデン政府は軍艦(HP冒頭の画像参照)を派遣して彼の遺骸を引きとり、ウプサラ大聖堂の墓所に安置した。そのそば近くには縁者であった博物学者カール・フォン・リンネの石棺もある。

スウェーデン科学王立アカデミー
スウェーデン王立科学アカデミー

 今世紀、二〇〇五年に、スウェーデンボルグの二万頁に達する著作の草稿が「ユネスコ世界記憶遺産」に「スウェーデンボルグ・コレクション」の名のもとに選定された。彼の著作や草稿、また手紙類は、没後すぐ相続人によってスウェーデン王立科学アカデミーに寄贈され、十分な管理のもとに保存されてきた。この科学アカデミーはかつてスウェーデンボルグもその会員であった。

スウェーデンボルグ・コレクションは異彩を放つ!

 世界記憶遺産への申請に尽力した一人に、ストックホルム大学学長を務めたインゲ・イョンソン(Inge Jonsson)博士がいるが、彼はヨーロッパの文学や思想の著名な研究者である。採択の主な理由は、一八世紀のヨーロッパ啓蒙時代の、現存する最も大量なコレクションの一つであり、その時代の科学と神学の両方を反映しているということである。またスウェーデンボルグの聖書解釈が新しいキリスト教会に現在もなお多大な影響を及ぼしているということである。世界記憶遺産の申請者はスウェーデン政府であり現在、同国における数は七点である。二〇〇五年当時は五七ヶ国、一二〇点であったが現在では四〇〇点ほどであろうか。(日本のものの選定は七点)。一個人の大量な草稿が選定されたのは稀であることを鑑みて、スウェーデンボルグ・コレクションは異彩を放っていると言えよう。